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将来予測
20年前に行った 中国の将来発展予測
Episode 中国の大衆と共産革命
 わたしは1940年、7歳の時に満州に渡り、敗戦の翌年引揚者として帰るまで満州で暮らしましたので、中国人大衆を知る機会はありました。ただし私の体験は、敗戦を挟んで、上から見た体験と、下から見た体験に別れます。敗戦までは満州は植民地ですから、日本人と中国人は居住地は別、生活上の接触もなく、たまに中国人街を訪れて、生活を外から見た経験しかありません。これに対し、戦後私たちの街では、中国人の大暴動が起こり、日本人は一切を掠奪、破壊されて乞食同然になりました。大人はソ連軍の使役か物売りをしていきていましたが、子供の私は、中国人街でタバコの立ち売りをし、中国人の同情にすがって生き延びました。中国人を下から見た経験です。

 満州で中国人について抱いた一番の印象は「きたない・不潔」です。中国人街では、甘く煮た「あんず」を串にさした菓子が人気商品でしたが、驚いたのは「あんず」に真っ黒になるほどハエがたかっていても一切気にせず追い払わないことでした。「ハエがたかるのは美味しいことの証拠」というのが中国人の理屈と聞きました。戦後、物売りとして中国人街で暮らしてはじめて、なぜハエがそんなに多いのかが分かりました。中国人街には公衆トイレはないので、みんな直近の空地に「野糞」をします。それをすぐブタが食べ、残りにハエがたかるのです。「野糞」が容易なのは用を足す時、ズボンを脱ぐ必要がないからです。男女ともズボンは下が割れていて、しゃがめば用が足せました。この便利なズボンは着たきりで、夜も着替えません。しかも風呂に入るのは年に数回なので、満州人の体は、しっかり臭かった訳です。日本の植民地時代は、日本人と同じ職場で働く満州人に対しては、不潔と口臭を厳しく禁じていたので改善されていましたが、敗戦後は元に戻っていました。

 中国人の人柄や品性は、子供にはよくわかりませんでしたが、大人が好む話題だったのでよく聞いていました。「ちょっと油断するとすぐごまかす」ということでした。人をだます「ずるさ」ではなく、ごまかせるならごまかすのが普通になっていました。ですから見つかっても「pu kang xi(カンケーナイ、大したことじゃない)」というだけで、決して謝りません。この「ごまかしの普遍性」がわかったのは、戦後の乞食少年時代、食べ物欲しさに中国軍隊の炊事場をうろつき、炊事係の老兵と親しくなって話を聞いたからです。この老兵は、米国支給の軍服で近代装備でしたが、制服を一枚脱ぐとその下は不潔で臭い満州農民でした。その彼の自慢は脇の下につけた金の腕輪でした。給料何年分に相当する財産です。親しくなって教えてくれた秘密は「ごまかし」でした。軍隊でもすべてが請負制度だそうで、彼は100人の兵士に食事を出すことを請け負っていましたが, 90人分の材料で100人分とし、10人分を儲けるということでした。驚いていると, 部隊長は120人の中隊を請け負っているが, 実際は100人しか雇わず、20人分の給料を儲けているという話でした。その後、蒋介石直属の査察官が来て、彼はクビになったから本当です。

 中国人の「不潔さ」と「ごまかし」は、中国人の本性のようなもの、軍隊はそれに輪をかけたものと思っていた者にとって、Peng Dehuai(ほうとくかい)が率いる共産軍は、中国の軍隊とは思えず、神の国からの軍隊に見えました。新編第四軍とも呼ばれたこの軍隊は、朝鮮戦争の際、一時朝鮮全土から米軍を追い落として有名になりましたが、この軍隊が始めて我々の街に現れたのは、蒋介石軍が退却した翌々日の夕方でした。突然若い兵士が訪ねてきて、野菜を少し分けて欲しいと、軍票をさし出しました。共産軍の軍票は受け取れないと断ると、少し悲しそうな顔をして、おとなしく帰って行きました。軍票を断られておとなしく帰る兵隊は、初めてでした。日本軍でも蒋介石軍でも、そんなことを言われたら、只では済まなかったでしょう。中国の民衆から見て、それまで、兵隊はヤクザと同然のこわい存在でした。ところが、新四軍は違っていました。服装は清潔、ニヤつかず、きりっと口を結んだ顔は知的であり、民衆を対等な人間としてみて丁寧な言葉で接して来ました。

 不思議な軍隊があるものだと思っているところへ、ふたたび先程の兵士が戻って来ました。今度は「炊事をするので鍋を貸して欲しい」というのです。中国では物を貸して戻ってくることはないので、少し水が漏るボロ鍋を貸しました。しばらくすると、食事が終わったらしく鍋を返しに来ました。貸した物が返って来るだけでも驚きなのに、見ると鍋はきれいに洗ってあり、穴は応急修理してありました。これには感激しました。感激のあまり、自分が食べるはずの野菜の半分あげると、丁寧に礼を言って帰って行きました。その後ろ姿を見ながら、全員が金の腕輪の蒋介石軍とのあまりにもの違いに、しばらく呆然としました。そして蒋介石軍と共産軍との抗争は、「結末は明らかだ」と確信しました。同じことを中国の大衆が感じたことは間違いありません。それが共産軍が実際に勝つ大きな力になったと思います。将来の国の姿など考えてもみなかった大衆でもこれだけはっきりした違いを見せられると新中国と共産主義に期待するようになったと思います。大衆自身はそう気付かないまま、大衆の心の奥底で共産主義への精神革命が起こったというのが実感です。
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